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今X橋はありませんが「いつかX橋で」

1945年7月10日未明に仙台上空に到来したB29が投下した焼夷弾で市内は焼け野原になり死者は1400人、負傷者は1700人近くにも上ったといいます。

 

高校生だった少年の母親は炎に包まれて焼け死に辛うじて助かった幼い妹も火傷が元で翌朝冷たくなってました。

仙台駅北側の線路にかかるX橋は今は道路が整備されてなくなりましたがつい最近までありました。当時は米軍相手の娼婦たちで溢れていたようです。

そこで食べるためにやむなく娼婦となった身寄りのない少女と、母親と妹を亡くして靴磨きをする少年が出会い結婚の約束をするも少女の妊娠が発覚し、お腹の子どもの父親は少年ではなく米兵だったと判明するのです・・・・・

今、熊谷達也さんの「いつかX橋で」を読んでます。

熊谷さんは宮城県出身で東北の舞台が多く「邂逅の森」に感動して「漂泊の牙」「ウェンカムイの爪」など一度気に入った作家は全作品を読みたくなります。

オリンピックも熱いけどちょっと一休み暑い夏の夜は読書もお勧めです。これから秋の夜長に向けても・・・。

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